読書①農と食の新しい倫理
はじめまして。
読んだ本のレビューというか感想というかまとめを
自分の記憶のためにも残しておこうかと思います。
農と食の新しい倫理
1部と2部に分かれていて
1部は農と食をつなぐ試みについて
4章に渡っている書かれている。
2部は農と食の新しい倫理をもとめてについて
6章に渡って書かれている。
1部から
1章は農と食に関わる課題について
世界的に生産と消費の間にある
加工や流通によりフードシステムが膨大に
かつ不透明化している。
そこに昨今の食への不信が現れている。
2章は農と食をローカルにつなぐ試みについて
有機農業何に挑戦し、失敗してきたのか
オーガニックや有機という言葉にある理念
CSA:地域が支える農業
(コミュニティサポーテッドアグリカルチャー)
有機農業など理念により成り立つ試みは
経済的思想により打ち砕かれた。
3章は協同組合が結ぶ農と食のコミュニティについて
遊佐町農協と生活クラブによる共同開発米
より良いものを安く食べたい市民
より良いものを高く販売したい農家
相反する理念を持つ2つのグループが
根気よく対話を続け着地点を模索する。
4章選択する消費者と行動する市民について
提示されたものを選ぶの消費者と
自らの食を見つめ農村と交流し
大量生産大量流通システムと違った
新たな方法で農産物を入手する消費者
これらを同等に扱うことはできないだろう。
後者を市民と呼ぶこととする。
食に対していい社会に向けた行動を起こしている
そんな人は市民と呼ぶ。
この章は難しくてうまくまとめられません。
2部
5章農と食をつなぐ倫理と実践
産業的農業哲学とアグラリアン農業哲学について
農業の工業化は激しく批判されてきた
しかし、持続性や農業の特別性をもつ
アグラリアン農業哲学では
ひっ迫する食料需給を満たすことはできない。
6章食文化の型について
和食が無形文化遺産に登録された。
そんな中で迷走している
健康で文化的な最低限の食
型(基本)を学びたいという欲求の増加。
行政に与えられた型に縛られるのではなく
身体に染み付いた自らの食の型を再発見
する必要がある。
守破離とあるように型は守り維持して行くものだが
最終的には発展して乗り越えるべきである。
7章失われた食育について
食育とは何か。
栄養学や料理教室だけでは食育とは言えない。
農業を知ること、また、農業を通じて
生命について知ること。
それが食育に必要なことである。
8章山とまちの採集食
食を賄うお金が全くなかったら?
あなたはまちなかや野山に生える山野草を
摘んで食べ、生き延びられるだろうか。
おばさちゃんの摘んだ山野草を孫のゆきちゃんは
食べない。
店舗で販売されていないものは食材ではなく
食べられないと無意識に染み付いているのである。
山だけでなくまちでも採集食は行われている。
知恵と技術でもって、山野草を調理保存してきた。
そのノウハウを受け継ぐ必要がある。
その過程で、自然とともに生きていること
自分たちが食べることで生かされていることを
学びなおすことが必要である。
そして食を選択し、能動的に食べることが
工業的農業の生態系の破壊を食い止める。
9章動物を殺して、食べること
生と死は二元的なものではない。
呼吸することと同じように死は生の1部である。
工業的畜産の問題点について。
畜産には現在も賛否両論である。
反対派の意見としては、動物を殺すことは
問題にしていない例もある。
問題は家畜の幸福についてだ。
家畜動物が苦痛を受けないように最大限
取り組むべきであるという主張である。
食べるということ。
いのちをつなぐということ。
食の根源的な意味は食べること即ち生きること。
大切にしなければならないのは、
ただ食べることではなく、
よく食べることなのだ。
10章農と食を結び直す
石油の価格が数倍に上昇すれば
現行のフードシステムは崩壊するだろう。
農と食の分断は根深い。
いかにして農と食の倫理を語り出すか。
産業的農業哲学の歩み
アグラリアン農業哲学の歩み
それぞれのあり方を見直し
語り合う必要がある。
食と乖離した農は、即ち産業的農業哲学を
今後続けて行くことは難しいだろう。
感想
農業に関わる仕事をして常々疑問に感じていた。
この農業は食べる人を見ているのだろうか。
これを食べた人は農業を見ているのだろうか。
疑問を持っていたし、発信もしてきた。
そんなモヤモヤが、世界中で現在進行系で
熱く議論されていることを知ることができて
激しく感動した。
丸2週間かけてじっくり読んだ。
15-20時間ほどかけて読んだ。
農業に関わっていない人には手に取りにくい
かもしれないが、ぜひ読んでほしい。
食に不安を持っている市民の皆さんや
農を考える人はぜひ読んでほしい。
そしてぼくと議論をしましょう。